アルシメード(Archimède)はフランス語で「アルキメデス」という名前のロックグループで、西フランスのマイエンヌ県の県庁所在地ラヴァル出身のニコラとフレデリックのボワナール兄弟を中心としたグループです。2009年にアルバムデビューして以来、現在(2017年)までに順調に4枚のアルバムを出しています。大ヒットがある有名グループではなく、知る人ぞ知る存在という感じでしょうか。オアシスなどのブリットポップの影響を受けたロックグループと思われがちですが、60年代のジャック・デュトロン以後のフランスのロックの伝統上にある音楽だと考えるべきでしょう。ロックは英仏海峡の向こうからやってきたものだとしても、英語は使わずにフランス語で歌うという姿勢を貫いています。
この姿勢を歌の形で表明したのが、2014年の3枚目のアルバムArcadie収録のÇa fly awayという歌です。そもそも題名が英語とフランス語の奇妙なちゃんぽんになっていますが、これはおかしな英語で歌うフランスのロックミュージシャンに対するユーモラスな果たし状なのです。今回はこの歌が何を歌っているかを解説してみたいと思います。
まずはこの歌を聴いてみましょう。字幕つきなのでよく見てください。
では歌詞を見ていきましょう。まず題名のÇa fly awayはどうでしょうか。この題名はフランス語のçaと英語のfly awayからなりますが、意味を深く考える必要はありません。英語で歌っているフランス人ミュージシャンの英語のレベルはこの程度のもので、英語かフランス語かよくわからないものだということをこの題名は示しています。日本でいうとぼんやりした感覚的な片仮名英語のような題名であるということを表すために、「さあ、フライアウェイ」という音訳にでもしておけばいいのではないでしょうか。
歌詞の説明に入りますが、まず語学的な解説の中では「直訳」を提示し、最後に示す全訳を直訳よりももう少しこなれたものにしてみました。解説が面倒くさい人は、飛ばして最後の全訳だけ読んでください。
歌詞の全体はこちらのリンクでどうぞ。ただしこのリンクの歌詞は正確ではないので、以下の歌詞と違いがあります。
Ces derniers temps, pléthore de poppies
Se drapent dans l’indie
Bafouillent une bouillie d’anglais
Pléthore (n. f.) ◇「過剰」という意味の女性名詞で、pléthore de +名詞の複数形で「数え切れないほどの~」という意味になる。/Poppies (n. f. pl)◇これは辞書を引いても無駄。英語のpopから来ているけど、フランス人が云うpopは日本人が考えるポップスとはちがうので、ここは「ロックグループ」と解釈しておきましょう。/Se draper (v. pr)◇「毛布(drap)」から派生した動詞で、「身にまとう」という意味だが、ここでは「誇示する」ということ。/Indie (n. m.)◇英語のindie(インディーズ)に当たる単語。/Bafouiller (v.)◇もごもご云う。/Bouillie (n. f.)◇おかゆ、転じて、ごちゃまぜのもの、ぼんやりしたもの。
「最近は数え切れないほどのロックグループが、インディーズであることを誇示し、ごちゃごちゃな英語をもごもご云っている」
Poppiesという単語は70年代の子供コーラスグループPoppysのことを思い出させますが、きっと今のロックグループが成熟を欠くということも馬鹿にされているのでしょう。
Pléthoreは主語として使うときに冠詞がつくのが普通ですが、ここでは無冠詞で用いられています。
C’est pas leur langue mais tant pis
Tant qu’à dire des conneries
Autant qu’elles visent à l’universel
Tant qu’à + inf.◇どうせ~しなければならないなら。/Connerie (n. f.)◇馬鹿なこと。つまらないこと。/Autant (adv.)◇Autant + inf.は「~したほうがましだ」を意味するが、ここではautant queがその意味で用いられている。
「それは自分たちの言語ではないけれど、しょうがない。どうせ馬鹿なことを云うなら、普遍性を目指した方がいい」
Tant pisは「しょうがない」ですね。
Ils argumentent export
Comme si l’Angleterre
Avait besoin d’eux
Argumenter (v.)◇理窟を云う。ここでは悪い意味で使われている。/Export◇「輸出」の意味でフランス語ではexportationを使うが、口語では省略形exportも使う。また、「輸出仕様」の意味でもこれを使う。
「彼らはまるで英国が彼らのことを必要としているかのように輸出について理窟を云う」
Comme siは半過去を伴って「まるで~のように」。
Ils ont l’audace de croire
Que face aux Britons
Ils pourraient faire mieux
Briton (n.)◇これは英単語で「英国人」の意味。普通のフランス語では使わない。
「英国人を前にしても、英国人よりもうまくやれるかもしれないと信じるような大胆さを彼らはもっている」
Face aux Britonsが「もし英国人を前にしたとしても(s’ils faisaient face aux Britons)という条件を示していますね。
次はコーラス部分です。
Et ça fly away
Comme un niais
Et ça want to go
Like a blaireau
Niais (n.)◇なかなか訳しにくい単語だけど、無邪気でガキ臭い馬鹿のこと。カップルで手をつないでアハハと笑いながら草原を走っていきそうな馬鹿。/Blaireau (n. m.)◇動物の名前としては「穴熊」だけど、この動物の毛でつくったシェービングブラシも意味することから、きざったらしい馬鹿や、鼻持ちならない馬鹿のこと。風速30メートルでも髪型が乱れなさそうな馬鹿。
前に云った理由で直訳が難しいので、だいたいどういう感じかというと、「よい子ちゃんのように大空を飛んでゆく、キザ野郎のようにどこかに行きたい」という感じでしょうか。Niaisは目がキラキラした馬鹿のことなので、確かに大空を飛んでいきそうだけど、niaisはawayと、blaireauはgoと韻を踏むために選ばれた単語だと考えた方がよさそうです。
Et le pire c’est que nous ça nous plaît
Vu qu’on a le niveau d’anglais
D’un 5ème techno
Vu que◇「~なので」という理由を表す(「~をかんがみると」が原義)。気難しい文法学者に批判される言い回しだが、よく用いられる。/5ème techno◇Cinquièmeは学校の学年で、だいたい中一ぐらい。Technoはtechnologieの略で、技術科目のこと。
「でも最低なのは、僕たちの英語が中一の技術科レベルなので、そんなものが気に入ってしまうということだ」
ここでun cinquièmeというのは、un élève de la classe de cinquièmeのことで、「中一の生徒」ということになります。Un cinquième technoは工業コースにしか行けないような、あまり英語の成績がよくない生徒のことでしょう。
フランスの学年の数え方は日本の反対で、日本の中学校に当たる学校collègeはだいたい11歳から15歳に当たる四学年で、下の学年からsixième, cinquième, quatrième, troisièmeという順番です。
Nousが繰り返されていますが、最初のnousは強調のために前に出されたもので、必要のないものです。メロディにことばを乗せる過程で音数が足りなかったので挿入したのでしょう。Ça nous plaîtのnousは間接補語でà nousの意味なので、nous, ça nous plaîtよりもà nous, ça nous plaîtのほうが理窟に合いますが、nousが前に出る場合はàがなくても間違いではありません。後置によって強調する場合はça nous plaît, à nousになります。
Et ça want to die
Dans la paille
Et ça time o’clock
Ça la joue folk
Ça la joue◇Se la jouerで「無理をして~のふりをする」の意味になるので(laが特定の名詞を受けていない分析不能のガリシスムの一種)、そこから来た表現だろう。
ここも直訳は無理。もし文字どおりの意味をとろうとするならば、「藁布団で死にたい、いつだってフォーク気取り」程度のことになるでしょう。Pailleはただdieと韻を踏むために選ばれた単語かもしれませんが、dormir dans la paille(藁布団で眠る)という表現が念頭にありそうです。
Il se la joue folkだと「彼は無理してフォークをやっている」という意味だけど、主語をçaにすると代名動詞ではなくなり、一種の非人称文のような形になるということでしょう。
Et le pire c’est que nous ça nous branche
Vu qu’on parle outre-Manche
Un peu comme des manchots
Brancher (v.)◇辞書には「接続する」と載っているけど、人を補語にとって「~の気に入る」という意味になる。Branchéは「流行の」の意味の形容詞。/Outre-Manche (adv.)◇La Mancheは「英仏海峡」のことで、outre-Mancheは「英国で」の意味の副詞だが、ここでは「英語で」の意味だと考えられる。/Manchot (n. m.)◇ペンギンだが、「かたわ」の意味。
「でも最低なのは、僕たちがまるでかたわのような英語を話すものだから、そんなものに気を惹かれてしまうということだ」
Et si demain je changeais d’avis
Je me mettais moi aussi
À chanter « one again »
Est-ce que soudain la hype et la nuit
Et les Anglofolies salueraient mes rengaines
One again◇À la one againはフランス産の変な英語風表現で「適当に、ちゃちゃっと」という意味。90年代に使われたが、現在は死語。/Hype◇発音からして英単語。ハイプ。「メディアの過熱」程度の意味で考えておく。/Anglofolies◇普通名詞としては「英国熱」のことだが、ここはフランスの音楽フェスティヴァル、フランコフォリー(Francofolies)とかけてある。英国の音楽フェスティヴァルを意味していると考えられるだろう。/Rengaine (n. f.)◇リフレインのこと。ヒット曲のことも意味する。
「もし明日になって考えが変わって、僕も適当な英語の歌をつくって歌い出したとしたら、僕のヒット曲がいきなりハイプと夜と英国の音楽フェスティヴァルに讃えられるとでもいうのだろうか」
「夜」に讃えられるというのはクラブで人気になるということでしょう。One againという英語として何の意味もなさないフラングレ(仏製英語)が利いています。
また、半過去の条件節が二つ続いていることに気をつけてください。本来なら二つ目の節の前にet siとつけるべきところでしょう。
Les grenouilles anglophones
Se produisent à Brighton
Devant trois nez de bœuf
Grenouilles anglophones◇「英語を話す蛙」だが、フランス人は蛙を食べるので、「蛙」はフランス人のこと。英国人のフランス人に対するイメージはmangeurs de grenouilles(蛙を食べる人)だと云われる。/Brighton (n. pr.)◇ブライトンは英仏海峡沿岸の英国の町。/Nez de bœuf◇「牛の鼻」だが、前に出てきたniaisと同じような意味で、ここでは「英国人なのに、わざわざ英語で歌うフランス人のロックバンドを観に来るようなお人好しの馬鹿」のこと。
「英語で歌う蛙のグループがブライトンで3人の馬鹿を前にして演奏した」
現在形だけど、日本語だと過去のように訳すでしょう。
Et de retour en Dordogne
Affirment aux autochtones
C’était fabuleux
Dordogne (n. pr.)◇ドルドーニュはフランス南西部の県で、県庁所在地はペリグー。フォワグラで有名。ここではフランスのど田舎代表という感じだろう。/Autochtone (n.)◇現地人。植民地・旧植民地の住民に対して使う場合はニュートラルな単語だが、フランス本土人に対して使うと少し軽蔑的なニュアンスが感じられる(「地元民」)。
「でもドルドーニュに帰ってきたら、素晴らしかったと地元民に云う」
Affirmentの主語は前に続いてles grenouilles anglophonesだが、歌の中でellesが省略されています。また、C’était fabuleuxは引用符でくくった方が直接話法だということがはっきりするでしょう。
ここでコーラス部分の繰り返しがあって、次はブリッジ部分です。
Ils mentent comme ils Shakespeare
Quand ils disent n’avoir grandi
Qu’en écoutant Bowie
Se la jouer◇前に言及したが、「無理をして~のふりをする」の意味。/Bowie (n. pr.)◇英国のロックスター、デヴィッド・ボウイ(1947-2016)。
これも直訳できません。そもそもils Shakespeareとは何だ、動詞がないじゃないかと思う人もいるでしょう。実はこれはIls mentent comme ils respirent(彼らは息をするように嘘をつく)のもじりです。Respirentの発音は[ʀɛspiːʀ]、Shakespeare(シェークスピア)のフランス語風の発音は[ʃɛkspiːʀ]で、韻を踏んでいます。「彼らは息をするように嘘をつく」の「息をする」が「シェークスピア」ということばに置き換えられているわけです。
よってこの一節は「ボウイだけを聴いて育ったと云うとき、彼らは息をするように嘘をついている」という意味です。
Ils mentent comme ils Shakespeare
これは繰り返しですね。
Se la jouent « J’ai lu Beckett »
Et désavouent Johnny
Mais parlent comme des biquettes
La langue de la BBC
Beckett (n. pr.)◇アイルランドの作家サミュエル・ベケット(1906-1989)。英語で書いた初期作品を除くと、主な作品はフランス語で書いたものが多い。/Désavouer (v. t.)◇「否認する」という意味だけど、法律用語で「(子供を)認知しない」という意味にもなる。/Johnny (n. pr.)◇フランスのロックスター、ジョニー・アリデー(1943-2017)。フランスではジョニーというとジョニー・アリデーのこと。/Biquette (n. f.)◇「雌の仔山羊」のことだが、ここではベケットの名前と韻を踏むために使われているだけで、「雌の仔山羊のように話す」という表現があるわけではない。
「ベケットを読んだと見栄を張り、ジョニーを否認するが、BBCの言語をとても下手くそに話す」
フランス文学であるベケットのことを英文学だと思っているところに滑稽さがあるわけです。
ここでも歌の中で動詞の主語が省略されていますが、それぞれilsを補って考えてください。
ここで再びコーラス部分の繰り返しですが、最後の一文だけが違うものになっています。
Et le pire c’est que nous ça nous botte
Vu qu’on aime bien Sherlock
Mais traduit en français
「最悪なのは、シャーロック好きの僕たちにはこんなものが気に入ってしまうということだ。シャーロックとはいってもフランス語訳だが」
Botterは「長靴を買い与える」、「長靴で蹴る」という意味だが、ここでは前に出てきたplaireやbrancherと同じ「気に入る」という意味で使われています。
さて、このユーモラスな歌の歌詞の解説は以上でした。最後に歌詞の全訳を挙げておきます。
最近はインディーズでございとばかりに
わけのわからない英語で
たどたどしく歌うロックグループがごまんといるね
英語は自分の言葉じゃないけど、それはまあしょうがない
どうせつまらないことしか云えないんだから
世界を目指した方がいい
輸出仕様だなんて
小理窟を云っているけど
英国に必要とされているとでも思ってるのかな
それで英国人に
勝てるかもだなんて
どれだけ厚かましいんだ
(コーラス)
さあ、フライアウェイ
ばかだねえ
さあ、ウォントトゥーゴー
あほだろう
でも僕たち自身の英語が
中一の技術科レベルなので
こんなものが気に入っちゃうからまずい
さあ、ウォントトゥーダイ
寝ちまいそうだい
さあ、タイムオクロック
頑張ってもフォーク
でも自分でも
不自由な英語しか話せないので
ついこんなものを聴いちゃうから困る
明日になったら考えが変わっていて
僕も適当な英語の歌をつくって歌うことにしたら
いきなり僕の歌がメディアに持ち上げられて
クラブで人気になり、英国のフェスティヴァルで
もてはやされるなんてこと、あるわけないだろう
英語で歌うフランスのグループが
ブライトンでコンサートをやったけど
物好きなお客さんは3人しかいなかったそうだ
なのに帰国したらドルドーニュに行って
「本当にすごい盛り上がりだったよ」と
地元民に云ったんだって
(コーラス繰り返し)
嘘つき英語イストは
ボウイだけを聴いて
育ったと云う
嘘つき英語イストは
ベケットを読んだと見栄を張り
ジョニーなんて聴いたこともないと
云っているくせに
ちょびっとしか英語が話せないんだ
さあ、フライアウェイ
ばかだねえ
さあ、ウォントトゥーゴー
あほだろう
でも僕たち自身の英語が
中一の技術科レベルなので
こんなものが気に入っちゃうからまずい
さあ、ウォントトゥーダイ
寝ちまいそうだい
さあ、タイムオクロック
頑張ってもフォーク
シャーロック好きの僕たちは
こんなものが気に入っちゃうから困る
シャーロックはフランス語吹き替えしか観たことがないんだけどね
2017年12月6日にフランスを代表するロック歌手ジョニー・アリデーが亡くなりました。私もこの人のことが昔はよくわからなかったのですが、今はフランス語でロックを歌う人の先駆者として敬意を払うべき人物だと思っています。このÇa fly awayという歌の中にジョニーの名前は一回しか出てきませんが、大衆的なスターであるジョニーのことを否定しさえすれば、庶民とは一線を画した自分の趣味のよさが保証されるかのように信じるフランスのロックファンの態度がここでからかわれています。その意味でこの歌はジョニーに対する優れたオマージュだと思い、ここに紹介した次第です。最後まで読んでくださってありがとうございました。